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このブログは永六輔こそ今いちばん面白いタレントだという認識の下、ただひたすら永六輔についてのみ書き綴る特殊ブログです。
このブログの記事はTBSラジオで土曜午前8:30から放送されているラジオ番組「土曜ワイド永六輔その新世界」の感想文と膨大に存在する永六輔の著作の書評によって主に構成されます。 なお、文中で「先生」という代名詞がインフレを起こしていますが、これはもちろん、永六輔先生を指しています。 カテゴリ
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2005年 07月 03日
「新世界」6月25日放送分その4でも触れたが、「六輔交遊録」のコーナーでの俳優加藤武とのやり取りの中で、永先生から「寿海さんの養子」という発言があった。この部分を改めて文字に起してみると、次の通りである。
永 「僕ね、人生変ったな、と思うのが『七人の侍』と雷蔵ですね」 加藤 「あ、雷蔵さんどうして?」 永 「え、寿海さんとこ養子に行く話で…」 加藤 「ああ、そうだそうだ、歌舞伎役者なんだ、永さん」 永先生、市川雷蔵の養父である市川寿海のところに養子に入る話があったらしい。 この点をもう少し詳しく知りたいと思い先生の文献に当ったところ、次の記述を見つけた。 「実は僕にも市川雷蔵になるチャンスがあった。市川寿海の側近の婦人の一人が僕の京都の伯母さんだった縁で、芸養子になる話があり、戦争が激しくならなければ実現するところだった。戦後、僕の代わりに芸養子になって、この年(1969年-引用者註)に亡くなっているのが、ご存知雷蔵なのである。実家が浅草の寺ではあるが、大伯父に藤間勘一郎がいて、歌舞伎舞踊に貢献したり、芸界には縁がある」 (永六輔『さよなら芸能界』 朝日文庫 2001年 224頁) 6月25日放送分その4では永先生の伯母が寿海の「妻」だったと書いたが、どうやら「市川寿海の側近の婦人の一人」だったらしい。 それにして、も。「市川寿海の側近の婦人の一人」というのはどんな存在なのだろうか。何だかよく分からないが「新世界」ならアリなのである。 また永先生の親戚には他にも歌舞伎界と関連のある人物(大伯父)がいたらしい。永先生 の実家である浅草永住町浄土宗最尊寺はやはり侮り難いものがある。 さてそれはさておき、ラジオの中の発言とこの文章、いずれにおいても永先生は 「市川寿海の芸養子になること」=「市川雷蔵になること」 として吹聴、もとい証言している。 歴史に「もし」は禁物とは往々言われることであるが、「もし」永先生が市川寿海の養子になっていたらどうなっていたのであろうか。時代劇スターになっていたのか。はたまたやたら昔の役者についての蘊蓄をひけらかして若者に小言を食らわす しかしラジオ、書籍、雑誌、新聞、そして時にテレビで展開される先生の言動の翼賛運動に邁進している当ブログとしては、先生が市川寿海の養子になって歌舞伎の世界の人になってしまっていたら、太陽を失った月というほどではないが、この世知辛い世の中を生きるよすがを一つ失うことになっていたであろう。
by h_motoda
| 2005-07-03 01:04
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