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このブログは永六輔こそ今いちばん面白いタレントだという認識の下、ただひたすら永六輔についてのみ書き綴る特殊ブログです。
このブログの記事はTBSラジオで土曜午前8:30から放送されているラジオ番組「土曜ワイド永六輔その新世界」の感想文と膨大に存在する永六輔の著作の書評によって主に構成されます。 なお、文中で「先生」という代名詞がインフレを起こしていますが、これはもちろん、永六輔先生を指しています。 カテゴリ
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2006年 02月 26日
要約
・幼いころは病弱で通院と入院を繰り返していた。 ・そのため、学童疎開が始まると他の級友たちとは別に疎開をすることになった。 ・東京には父と兄が残り、母や他の兄弟たちと長野県小諸へ疎開する。 ・疎開先ではずいぶんつらい思いをした。「地元の大人や子供たちから、いじめです」 ・そのうち差別に耐えることに快感を覚えた。「きょうはどうやっていじめられようかな、なんて」 ・都会者が大挙してやって来たわけだから現地人が迷惑に思うだろうことはわかっているが、それでも許せない。 ・しかしその後長野県上田出身の出版社社長から「もう60年たったんだから」と諭され小諸を許すことになった。その印として小諸市の歌を作ることになった。同じく小諸に疎開経験のある小林亜星が作曲を担当。 ・小諸の寒風に吹かれて生活したせいか、ずいぶん元気な体になったよ。その点は感謝している。 ・でも、母が食料を得るために着物を売ってそれを現地人が着ているのを見たことを思い出すと今でも許せねぇ! ・でも、野坂昭如は「火垂るの墓」で疎開先の実名は出してなかったな。野坂は疎開先と折り合いをつけているんだろうか。 ・俺も疎開体験を語るときは気をつけよう。 感想 先生は今も相当小諸を恨んでいると見た。口では和解したとか、和解の証として小諸の歌を、なんて言っているが、その小諸の歌の話をした直後に再び母の着物の話を持ち出すわけだから、やっぱり本心では今も恨み骨髄だと思う。この前も文藝春秋で小諸で受けたつらい仕打ちを丹念に書いていたし・・・。 もちろん、そんな先生を心が狭いなどと批判するつもりは無い。 そういった個人的わだかまりも存在しなければ今の先生は存在し得ないと思うし、それに私個人もかつて地元市役所の採用試験を受験して落ちて以来、「市役所に雷落ちないかな」などと呪詛の思いを抱き続けているから他人をとやかく言えない。 人が経験した苦労を比較するのは馬鹿げているが、母親と一緒にいられた分、先生には多少は救いがあったのではなかろうか。 大半の児童は親元を離れての疎開だっただろう。だからこの連載記事を読んだ人の中には「俺はもっとつらい思いをした!」と憤激する人がいるかもしれない。 今回の文章で最も輝いていたのは、「火垂るの墓」には疎開先の実名が出ていなかった、と書いておきながらすかさず福井県春江と書いたところ。野坂の配慮台無し。
by h_motoda
| 2006-02-26 23:38
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