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このブログは永六輔こそ今いちばん面白いタレントだという認識の下、ただひたすら永六輔についてのみ書き綴る特殊ブログです。
このブログの記事はTBSラジオで土曜午前8:30から放送されているラジオ番組「土曜ワイド永六輔その新世界」の感想文と膨大に存在する永六輔の著作の書評によって主に構成されます。 なお、文中で「先生」という代名詞がインフレを起こしていますが、これはもちろん、永六輔先生を指しています。 カテゴリ
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2006年 03月 05日
要約
・自衛隊発足。「いないいないばァッ!自衛隊」というコントが政府からチェックを受ける。 ・トリロー文芸部の隣が三木の自宅。そこに出入りする黒めがねの男がいた。後の野坂昭如である。 ・野坂は初対面時の先生をずいぶん念入りに観察していて、そのときの服装までしっかり記憶している。後にエッセーで当時の先生のことを描写して「天才」と評している。 ・大学へはほとんど行かなくなり、学費未納者として掲示されることになった。同じ未納者の中に「中村八大」という名もあった。そして大学にはまったく行かなくなる(中退)。 ・早稲田は卒業組よりも中退組のほうが正統派だと言われている。そして俺は中退組で青島幸男は卒業組。 ・トリロー文芸部で民放ラジオの仕事を担当する部署を作ることになり、有限会社「冗談工房」が発足、先生が社長に就任する。御年23歳。なおこのとき五木寛之も在籍していた。 ・しかし新会社は経理担当専務の野坂が金を使い込んでつぶれる。野坂はそのことを引け目に感じて「天才」などと俺を持ち上げるのだろう。 ・放送作家の傍ら舞台監督をやったり「七人の侍」のオーディションを受けに行ったり、来日したマリリン・モンローの出待ちをしたりした。 ・「六輔」というペンネームは出演していたラジオ番組での役名ロクスケにちなむ。父も、六は南無阿弥陀仏の六文字に通じるから良い、と背中を押してくれた。次第に家族も本名の孝雄ではなく六輔と呼ぶようになった。 ・あるときNHK・TBS・ニッポン放送・文化放送の各局で同時間にすべて先生の台本で放送するといういたずらをやったことがあった。 ・古川緑波には「無礼者!」と叱られ、徳川夢声には日記に「永六輔、はなはだ生意気なり」と書かれた。我ながら、当時は鼻持ちならぬ若造だったのだろう。 感想 ついに先生が作っていたコントの片鱗が明かされた。しかし、「いないいないばァッ!自衛隊」のどこが政府の咎めを受けたのだろうか。憲法で戦力不保持を規定しているのに戦力としか言いようの無い自衛隊を保持するという矛盾を風刺しているのはわかるが、これしきの風刺で政府が動くことが今の感覚では理解不能。この空気はデモとかストなど実力行使を含む反政府活動が頻発した当時を生きていなければわからないのだろう。あるいはこのコントはテレビ用につくられたもので、全裸の男女が「いないいないばァッ!自衛隊」と叫び男女の性器がアップになる、という展開で、性器の箇所が駄目で怒られたというような書かれざる部分でもあるのか。 と言うか、そもそも「政府からチェック」というのはどういう状況だったのだろう。放送業界を管轄する郵政省から正式な文書で何らかの通知が来たのか、あるいは単にNHKのADに「永さん、これちょっとマズイっすよ」と言われた程度なのか。当時の政治状況はよく知らないが、少なくとも現憲法下で政府が公的に放送を検閲することなんてありえないだろう。また、いわゆる放送禁止用語とはマスコミ内部での自主規制に過ぎないという事実から考えても、真相としてはNHK内部の自粛的配慮を「政府からチェック」と吹聴しているのではないか。実際はNHKは政府機関ではないが、そこは永六輔フィルターというやつである。「自主規制で・・・」と言うよりは「政府に弾圧された!」と叫ぶほうが受けがいいからそうしたのではなかろうか。 あと、早稲田中退に関してさりげなく青島幸男の悪口を書いているところがお茶目だと思いました。
by h_motoda
| 2006-03-05 23:10
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