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このブログは永六輔こそ今いちばん面白いタレントだという認識の下、ただひたすら永六輔についてのみ書き綴る特殊ブログです。
このブログの記事はTBSラジオで土曜午前8:30から放送されているラジオ番組「土曜ワイド永六輔その新世界」の感想文と膨大に存在する永六輔の著作の書評によって主に構成されます。 なお、文中で「先生」という代名詞がインフレを起こしていますが、これはもちろん、永六輔先生を指しています。 カテゴリ
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2005年 04月 30日
永先生とその父君が、ちょうど今上陛下と先帝陛下と同い年であることは、以前「双六節記念特別記事」の項で紹介した通りである。本日はこのように永先生とも因縁浅からぬ先帝陛下の天長節を記念して、本書陵部でたびたび引用しているこの書を紹介したい。
本書は、永先生が生誕した昭和8(1933)年から64(1989)年の昭和の終焉までを、永先生の動向を中心に、その時々の芸能界内外の出来事を織り交ぜつつ描いた永六輔史の書物である。ちなみに永六輔史の書物としては他に矢崎泰久による永先生インタビュー『生き方、六輔の。』があるが、この書が「紀伝体」を取るのに対して本書は浅草キッドの水道橋博 士が既にその書評において指摘している通り、「編年体」の歴史書となっている。 本書の「芸能私史」としての価値については、同じ芸能界の住民である前掲水道橋博士の書評を参照して頂くこととして、以下では特に永先生の「満州国再建計画」への関与に関する記述に注目して紹介を行なうこととしたい。 本書昭和53(1978)年の項によると、この年永先生は盟友野坂昭如ら周囲の人間と「佐渡島独立運動」を企て、佐渡の島民には無断で佐渡の独立を多面的に検討するという実に永先生らしい温情に溢れた(ありがた迷惑な、とも言う)実践を行い、そのことを例の如く吹聴していた。ちなみに下記参考文献によると、米ソ冷戦が佳境を迎えている中でのこの実践にはアメリカ大使館やソ連大使館からも取材があったという。 さて同じ年、永先生が恒例の『徹子の部屋』参内を行なった際、「東洋のマタハリ」として知られる川島芳子の噂話をしたところ、「銃殺されたのは偽者です、本人はロンドンで生きています」という連絡があったという。その後この連絡の主である旧関東軍と特務機関にいた老人たちと帝国ホテルで面会した永先生は、彼らから清朝を中心とした満州国再建の計画を打ち明けられる。決起するのは東北部にいる清朝の残党、軍資金はゴールデントライアングルの麻薬王クン・サーが調達、リーダーは台北にいるラストエンペラー溥儀の弟、日本政府には川島芳子が旧知の笹川良一を通じて…という壮大な計画は、軍と資金と皇帝、それぞれがバラバラで集合できないことが問題となっていた。 「そこを永さんに動いていただいて、佐渡同様に独立運動を…」 これが老人達のオファーであったという。永先生、まさに満州国再建計画の扇の要に擬せられていたのである。 それにして、も。川島芳子の生存から始まって関東軍、特務機関の旧軍人、清朝の残党、クン・サーまで巻き込む満州国再建運動を永六輔が取り纏めるというのは偉観というかマヌケというか、想像を絶する話である。しかし永先生によれば、先生は実際オファーをしてきた老人達と共に台湾に渡り、張学良とも会ったという。何が本当で何がでまかせか皆目検討がつかないが、「あるけどでない、ないけどある」これぞまさしく「色即是空空即是色」の六輔新世界の真骨頂である。わずか一年分の項でさえこれほどの永六輔的要素充溢の本書、黄金週間に是非お勧めの一冊である。 『昭和 僕の芸能私史』 (朝日新聞社 1995年。のち『さよなら芸能界』と改題して朝日文庫 2001年。その後再度『昭和 僕の芸能私史』として光文社知恵の森文庫 2004年)
by h_motoda
| 2005-04-30 04:43
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