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このブログは永六輔こそ今いちばん面白いタレントだという認識の下、ただひたすら永六輔についてのみ書き綴る特殊ブログです。
このブログの記事はTBSラジオで土曜午前8:30から放送されているラジオ番組「土曜ワイド永六輔その新世界」の感想文と膨大に存在する永六輔の著作の書評によって主に構成されます。 なお、文中で「先生」という代名詞がインフレを起こしていますが、これはもちろん、永六輔先生を指しています。 カテゴリ
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2005年 07月 26日
前回までのあらすじ
──会場に一人だけやたら拍手をするおばさんがいた。先生がちょっといいことを言うとすぐに拍手するのだが、それは「この私が率先して拍手をすることで会場全体の拍手を引き出してやろう」というような権力志向的な意思が垣間見え、それを察したのか誰も同調していなかった。クーデタの失敗というのはこんな感じなんだろうなと思った。 さて、先生が「とっておき」と自賛する皇室ネタ披露も終わった。 皇室ネタを密室芸化する理由として「ラジオやテレビでは話せないから」と先生は釈明していたが、それって一般の目につきにくい深夜番組で水着の女性に催眠術をかけて太鼓を叩く、というのと本質的には変わらない。つまり動機としては興味本位の域を出ていないのだが、普段は反権力の先生がこういうミーハーな思いを皇室に対して抱いているのは先生の一筋縄ではいかぬ部分をよく表していると思う。筋金入りのアナーキストなら風刺とか皮肉として皇室ネタを語るだろうが、先生の場合は完全にワイドショー的な視点、「おばさん」の視点であった。いやもちろん、先生の反体制もその程度のものだなどと讒謗する意図はない。スタイルだけで反体制を気取る人は尺貫法復権運動などに血道を上げたりはしないのである。 こうしてすべてのネタトークも終わり、このプロパガンダ集会もついにエンディングへ。 名目上の主催者である高尾山自然保護運動のテーマソングともいうべき「高尾山 私のふるさと」の全員合唱のコーナー。歌詞を記したパンフレットは全員に配られていたが、サービス精神の塊である永先生は、歌の中で次の小節の歌詞を読み上げて人々を導く。 しかしその読み上げる部分と実際に演奏されている部分がズレているのに先生がかまわず読み上げるものだから会場は混乱、有終の美を見事に飾れずグダグダな感じであった。しかしこの衆生のミスリードぶりも、いわば現代のハーメルンの笛吹き男としての先生の本質を象徴するものといえるかもしれない。先生はいったい我々をどこへ導こうとしているのか?イタリアの沃野か?それともインパールの白骨街道? そして最後の最後、先生のご実家寿徳山最尊寺が二所ヶ関部屋の檀家寺ということで、先生による二所ヶ関部屋の相撲甚句実演である。「相撲甚句は背中で聞くものです」という先生の言葉に従い、次々に退場してゆく善男善女。今回のイベントは固定の入場料を取らず各人が払いたいだけの金額を出す「投げ銭」システムが導入されている。会場の出口には「投げ銭」用の大きな背負いカゴが置いてあり、人々はそこに金銭を投ずるのである。 だが私はその列には加わらなかった。 それは金を出すのが惜しいなどというさもしいことではなく、まったく別のことをしようとしていたからである。 聴衆を見送り、舞台から去ろうとしている先生。 その先生にぜひとも拝謁したいなどと不遜な企みを胸に抱きつつ私は舞台へと向かっていた。さっさと帰れと言っている先生のもとへ行くというのは明らかに厚かましい振る舞いである。しかし、厚かましいというのは先生の得意技である。「新世界」の美徳である。私は勇を鼓して先生の如く身も心もおばさんになり舞台へと向かった。そのときの自分の姿を鏡で見たら、きっと頭には金正日みたいなパーマがあり、腕にはネギの飛び出した買い物カゴがぶら下がっていたに違いない。 先生の周りにはすでに私と同じことを夢想する輩がいて、「ラッキィさんをあんまりいじめないでやってくださいよ」などと先生に声を掛けている。またある者は過去に先生と会ったことがあるらしく、そのときの写真などを先生に手渡している。私はそうした人垣がまばらになっていくのを待ち、そして声を出した。 「毎週ラジオを聞いています。握手してください」 そのときの私は金正日パーマのおばさん、ではなく、何度も大学に落ちた浪人生みたいな風体であったから先生もいぶかしく思ったのであろう。明らかに気乗りしない顔であったが、それでも「ちょっと待って、片付けるから」と言ってあの「木の偏漢字フリップ」の入ったクリアファイルを小脇に抱えると、「はい」と手を差し出してくださった。私はその手を握り、「ありがとうございます」と頭を垂れる。 先生の手は柔らかかった。 かつて宮崎市定という学者は戦前にドイツを訪れた際、そこで偶然ヒトラーと面会する機会がありその場で握手をしてもらったという。宮崎博士はヒトラーの手は柔らかかったと後に述懐している。別に永六輔はヒトラーだと言うつもりはないが、雲上人と握手すると大方そんな感想に落ち着くのだろう。 感動的な握手の後、写真撮影などして私もようやく会場を後にした。当然小生も浄財を寄進した。帰り道は妙な高揚感に包まれていた。八王子の街路はきれいに舗装されていたが、まるで柔らかいスポンジの上を歩いているようだった。おそらく握手の際に毒素とかエネルギー衝撃波とかそういった得体の知れぬものを注入されたに違いない。そしてまた先生のプロパガンダ集会に行きたいなと思った。それは感動をもう一度というよりも、先生は講演で同じネタをどれほど使い回しているか確認したいからだ、などと敢えて強がりを申しつつこの顛末記を終える。
by h_motoda
| 2005-07-26 02:41
| 臨時ニュース
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